映画「終の信託」について

映画「終の信託」について

リビング・ウィル、終末期医療、安楽死。これらの言葉から想像することはなんですか?日本では安楽死は法律で認められていません。回復不能な病気で終末期であり、耐え難い苦痛を伴う場合にのみ、患者本人の意志があれば延命治療をしないという「消極的安楽死」しか認められていないのです。もし自分が治る見込みのない病に侵され、苦しい思いをしながらも生き続けなければならないとなったとき、あなたはどうしますか。また、家族や大切な人がそのような病気になったとき、本人の意志で「死」を選びたいと言われたら、それを尊重することが出来るでしょうか。尊厳死、安楽死のあり方を描いた映画が、2012年10月に公開になりました。「終の信託」という映画です。この映画は、川崎協同病院で実際に起きた「事件」を基に描かれた朔立木の小説を原作としています。孤独な女性医師と死期の近い男性患者の心の触れ合いと、尊厳死とは何かを描いています。生きるとはなにか、死ぬとはなにか、永遠に答えの出ないこの問題を考えるきっかけになる映画です。

映画「終の信託」とは

映画「終の信託」(ついのしんたく)は、朔立木による2本の短編による小説集の表題作を原作とした映画です。原作本は当初、2005年6月22日に光文社より「命の終わりを決めるとき」というタイトルで刊行されましたが、2012年の2度目の文庫化の際、改題されました。映画は2012年10月27日に公開されました。監督は周防正行で、草刈民代が主役の女医を演じました。「映画らしい映画を作りたかった」ということで、フィルムでの撮影にこだわったのだそうです。死期が近い患者役は役所広司が演じています。草刈と役所の共演は、同じく周防監督作品で、草刈がバレリーナ時代に映画初主演を果たした1996年の映画「Shall we ダンス?」以来16年ぶりのことでした。10月24日に第25回東京国際映画祭でこの作品が特別招待作品として公式上映された際には監督を含め3人で舞台挨拶も行い、同時に今作が第36回山路ふみ子映画賞を受賞したことも発表されました。東宝系にて全国264スクリーンで公開され、10月27・28日の2日間の動員は約5万人、興行収入は約5800万円で、映画観客動員ランキングは初登場5位となりました。第67回毎日映画コンクール・日本映画大賞も受賞しており、周防監督にとっては1992年の「シコふんじゃった。」、1996年の「Shall we ダンス?」、2007年の「それでもボクはやってない」に続いてこの作品で4度目の受賞となりました。また、検事役で出演した大沢たかおは今作で第22回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞しています。

ストーリー(ネタバレ)

折井綾乃は、患者からの評判もいい呼吸器内科のエリート医師です。彼女は今一人、工業地帯の堤防の傍らを歩いています。その手には花束が握られていました。彼女はその花束をそっと堤防に備えると、検察庁へと向かいます。記帳を済ませ、廊下のベンチで待つ綾乃。なぜこんなところで待たされているのだろう・・・綾乃は事の発端となったある事件を思い出していました。

自殺未遂とある患者との出会い

綾乃は優秀な医師として十数年呼吸器内科で働いてきました。彼女は未婚ですが、同僚の高井医師とは長年愛人関係にありました。しかし、中年となった綾乃を高井は「俺、結婚するなんて言ったっけ?」と冷たい言葉で簡単に捨ててしまいます。失意の綾乃は、あてつけのために病院の仮眠室で睡眠薬とアルコールを飲み、自殺を図ります。しかし、幸いにも看護師に発見され、一命は取り留めました。そんな綾乃に高井は「つまらないアテツケだ!睡眠薬で死ねないのは分かっていただろう」と突き放すのでした。綾乃が病院で自殺未遂をしたことは他言無用とされていましたが、いつの間にか職員はおろか入院患者までも知るところとなってしまいます。肩身の狭い思いをする綾乃に、唯一向き合ってくれたのが喘息で入院している江木でした。彼は綾乃に一枚のCDを貸します。それはプッチーニの「私のお父さん」でした。綾乃はその美しい曲を何度も何度も聞き返し、涙を流すのでした。

思いを寄せる二人

「美しいアリアだったでしょう?でも、あのオペラって喜劇なんです。娘が恋人と結婚したくて、猛反対する父親を脅している歌なんです」。笑顔で話す江木を見て、綾乃の心も少しだけ軽くなります。それから二人は、お互いの心の内を語り合い、患者と医師という関係を超えて思い合うようになるのでした。しばらくして江木が退院すると、綾乃は往診のついでだと言って江木の住まいを訪ねます。並んで砂浜を歩く二人。江木は何年にも渡って自分の症状を詳しく書いた「喘息日記」を書いていました。慢性だった喘息が急性化していることに、江木は気付いていました。自分に死期が迫っていることを感じた江木は、綾乃に淡々と語りかけます。「先生、妻は私が死んでも働けるような女ではありません。入退院を繰り返している私には、この3年間働いていませんので、医療費は大変な負担です。」と。そして「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と懇願するのでした。

別れ

数か月後、江木は心肺停止となって緊急搬送されてきます。綾乃の必死の治療で、一命は取り留めましたが、人工呼吸器に依存しなければならない状態が続きました。一旦は症状が落ち着いたのですが、厳しい状況に変わりはありません。綾乃は江木の最期の願いを思い出し、医師として、人間として選択すべきはどちらなのかと思い悩みます。綾乃は江木の妻に彼の病状を伝え、子供を呼ぶようにと伝えました。翌日。家族の見守る中、綾乃は江木に付けられたチューブを引き抜きます。しかし、その直後、意識のないはずの江木が苦痛のあまり暴れはじめたのです。綾乃は江木を押さえつけ、鎮痛剤と鎮静剤を投与します。江木は家族と綾乃が見守る中、息を引き取りました。

検事と綾乃

3年後、検察庁のベンチに綾乃は座っていました。なぜ3年経った今になって検察庁に呼び出されたのか。これは家族からの告発ではなく、病院内の誰かが内部告発したためでした。検察事務官に案内され、検事室に入ると、塚原検事が綾乃に対し尋問を開始します。塚原検事は冷静に、しかし時には声を荒げて綾乃が行ったことを追求します。問題となった行為は、鎮静剤の投与でした。延命治療を望まない患者の生命維持装置を外すことは、消極的安楽死と認められることだったかもしれませんが、脳死でもなければ植物状態でもなかった患者が一度息を吹き返したにも関わらず鎮静剤で止めを刺したことで、綾乃は殺人罪に問われているのでした。綾乃は江木に生きていて欲しかったこと、しかし彼の願いで楽にして挙げたかったのだと必死に反論します。塚原検事はしかし、それを認めてはくれませんでした。その理由は、被害者が死に瀕していたとは言えないこと、被害者の最期の状態を見る限り、生きようとしたといえるのではないかととれること、被害者が死を望んでいたことが綾乃自身の証言しかないことなどがあげられました。結局綾乃は手錠を掛けられ、逮捕されてしまうのでした。

その後

綾乃は20日にわたる勾留の後、起訴されました。江木の妻は61冊に上る江木の喘息日記を法廷に提出します。その最後のページには「延命治療を望まない」というリビング・ウィルに相当する一文がありましたが、回復の見込みが完全になかったわけでもなく、家族への説明も不十分だったとし、執行猶予付きの懲役2ヶ月の判決が下されたのでした。

キャスト

  • 折井綾乃(女医)・・・草刈民代
  • 江木泰三(患者)・・・役所広司
  • 高井則之(不倫相手)・・・浅野忠信
  • 塚原透(検事)・・・大沢たかお
  • 杉田正一(検事の助手)・・・細田よしひこ
  • 江木陽子(江木の妻)・・・中村久美

スタッフ

  • 監督・脚本・・・周防正行
  • 原作・・・朔立木
  • 製作・・・亀山千広
  • 企画・・・小川泰、市川南、小形雄二
  • プロデューサー・・・土屋健、稲葉直人、土本貴生、堀川慎太郎
  • 音楽・・・周防義和
  • 撮影・・・寺田緑郎
  • 照明・・・長田達也
  • 美術・・・磯田典宏
  • 録音・・・郡弘道
  • 編集・・・菊池純一
  • 製作・・・フジテレビジョン、東宝、アルタミラピクチャーズ
  • 製作プロダクション・・・アルタミラピクチャーズ
  • 配給・・・東宝

感想

すごくすごく重たい映画でした。この映画を観た後3日くらいは落ち込んでいたと思います。私も祖父を長い延命治療の末に看取った経験があるので、考えさせられるところは色々ありました。主人公の綾乃が江木に行った最後の医療は間違いなく殺人でした。しかし、大切な人が目の前で意識がないにも関わらず痛みに暴れている姿を見たら、誰でも早く楽にしてあげたいと思うのではないでしょうか。ただ、一人の医師として行うべきことではなかったのではないかと思います。病院の中でも信頼も厚くエリートとして知られている彼女が、一人の患者の死に際にあんなにもパニックになってはいけないと思うのです。家族の前で取り乱して、泣き崩れてしまう綾乃は自分の弱さに甘えた駄目な人間だと、私には感じられました。この映画はどの立場で見るかによって評価が変わる映画でもあると思います。私が江木の立場だったら、私も延命治療を望まず、自然なままに死にたいと申し出るでしょう。しかし、江木の妻の立場だったとしたら、私はそれを素直に受け入れられる自信はありません。助かる見込みが少しでもあるなら、頑張って生きてほしいと願うと思います。しかし、患者本人にとって「頑張って生きる」ことほどつらいことはないのです。長い入院生活のうちに、先がない自分のために出費がかさみ、家族に迷惑をかけてまで生きながらえることに意味を見いだせなくなってしまうのです。そして最後には、延命治療を望んでいなくても、その意思を伝えることも出来ない寝たきりの状態になってしまいます。人生は何が起こるかわわかりません。自分がいつその立場になっても大丈夫なように「リビング・ウィル(生前の意志)」を残しておくのが得策だと思います。江木は綾乃に「その時はお願いします」と頼んでいたにも関わらず、そういった意志を表明するものを全く残していませんでした。結果、綾乃の行為も殺人と見做されてしまいました。江木のリビング・ウィルがあれば殺人に問われなかったかどうかは微妙なところですが、少なくとも情状酌量の余地はあったのではないでしょうか。そして綾乃も、事前に江木の家族と話合ったり、江木自身とももっとこのことについて話し合っておくべきだったのではないかなと思います。最期の時を任されるというのは大きな責任が伴います。取り返しのつかないことでもありますから、家族も本人も医師も悩み、どちらの結果になったとしてもきっと後悔するのだと思います。本人も家族も、皆がなるべく後悔しない結果を出すために、元気なうちから考えておきたい問題だと思いました。

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